■エンゲージリング■




真里野は竹刀を下ろすと、息を漏らした。
「全員集合!」
真里野の掛け声を聞いて、門下生が集まる。
「今日の練習はここまで、道場を綺麗に掃除したら帰って宜しい」
「お疲れ様でした!」
「解散」
門下生達が四方に散らばったのを見て、真里野は歩き出す。
部屋に戻って、竹刀を置いた後、着替えを持って、浴室に行く。
真里野は学園を卒業した後、実家に戻って、剣道道場の師範代になった。
それは色々と考えた末での決断だった。真里野と葉佩は付き合っていた。
軽い気持ちなどではなくて、真剣に求めて求められて共に同じ道を歩んでいた。
しかし、九龍にトレジャーハンターの道があるように自分にも道場を継ぐ道があった。
葉佩の事は本気で愛している。しかし、夢は捨てられない。
そのせいで喧嘩もよくした。言い争いも数え切れないぐらいにした。
堂々巡りの日々が続いて、結局、お互い夢を取る形で円満に別れた。
悲しみ以上にお互いが夢を断つ苦しみを知っていたから、最後はもう苦笑とお互いの今後の心配しかなかった。
そして、葉佩は真里野よりも3ヶ月ほど早く夢へと歩き出した。
それから、真里野と葉佩は一度も会っていない。
寂しくないと言えば嘘になるけど未練が募るからこれでいいのだと思う自分もいる。
シャワーを浴び終えた真里野は浴室を出る。和服に着替えて、居間に行くと祖父がいた。
祖父の前に正座して座る。
「お爺様、ただいま稽古を終えました」
「そうか、何か変わった事はあったか?」
「いえ、特には」
「そうか……多恵子さん、剣介にお茶を入れてくれ」
「はい」
台所から母親の返事がある。真里野は立ち上がると、台所に入った。
「母上、お茶は自分で入れます」
「そうしてくれると助かるわ」
冷蔵庫を開けて、麦茶を取り出してコップに注ぐ。
それから、麦茶を冷蔵庫に戻して、一口飲む。
テーブルにチラッと視線を向けるといつもよりやや豪華な料理がたくさんあった。
「今日は客人でも参られるのですか?」
真里野がそう言った瞬間、母親は軽く目を見開いた。
その後、口元に手を当てて、苦笑する。
「剣介さん、自分の誕生日も忘れたの?」
「えっ?今日は何日ですか?」
「28日よ」
母親の苦笑に真里野は頬を染める。
「もうすぐ夕食が出来るから居間で待っていてね」
真里野は恥ずかしさから足早に台所を出ると居間に戻った。
祖父の横に正座して、テレビにぼんやりと視線を移す。
そういえば、葉佩とは一度も誕生日を祝っていない。
よく考えれば、葉佩と共にいたのは一ヶ月ほどの事である。
それでもほぼ毎日同じ時を過ごして、色んな話をして、関係も持った。
「くっ……」
そこまで考えて、真里野は突然立ち上がった。
鮮明な記憶を思い出して、涙が溢れてくる。
真里野は祖父に気付かれないように居間を出て、玄関から外に出た。
道路を少し歩いて、壁の方を向いて立ち止まる。
逢いたい。無性に逢いたい。
それはエゴである事は分かっている。
しかし、葉佩に対する愛情は薄れていない。それ所か、別れて、益々深くなっている。
その思いに今まで気付かない振りをしていたけど、認めるとどこまでも溢れていく。
「師匠……」
掠れた声が出る。
「師匠……師匠」
求める声が激しくなる。返事をする者がいない事は知っている。
しかし、叫ばなければおかしくなる。感情の高ぶりが収まらなくなる。
「師匠!師匠!」
「……呼んだ、真里っぺ?」
ふわりと温かいものに包まれて、真里野は驚いた。
それが人の腕である事に気付いて、真里野は振り返った。
そこには見慣れた顔があった。穏やかな笑顔があった。
「師匠!!」
驚きよりも。何故、ここにいるのかも今はどうでもいい。
真里野は完全に振り返ると、葉佩に抱きついた。
力一杯抱き締めて、胸元に顔を押し付ける。
嗚咽している真里野の髪の毛を葉佩は優しく撫でる。
「師匠、逢いたかった」
「うん、俺も真里っぺに逢いたかった」
その言葉がまた涙を誘う。
しかし、真里野は乱暴に涙を拭って、葉佩の顔を見上げた。
別れた時よりも髪の毛が若干伸びている。それすら愛しい。
「久し振り、真里っぺ、元気だった?」
「ああ、拙者は元気だった、師匠はどうだ?」
「うん、俺も元気だったよ」
「……良かった」
「うん、凄く良かった」
鸚鵡返しの台詞でも体温を肌で感じているとそれだけで充分な気持ちになる。
「真里っぺ、ちょっと悪いんだけど離れていいかな?お前に渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの?」
もしかして、と動悸が激しくなる。葉佩と出会ってから初めての誕生日。
それで渡したいものと言えばやはり、誕生日プレゼントだろうか?
少し緊張気味に葉佩から離れると、葉佩はズボンのポケットに手を入れた。
「うん、色々と考えたんだけどやはり、これしか考えられなかった」
葉佩は苦笑しながら、小さい箱を取り出した。
真里野の目の前に突き出して、箱を開ける。
その中にあるものを見た瞬間、真里野は大きく目を見開いた。
驚きと葉佩の気持ちに訳が分からなくなる。
「こここ、これは何だ?」
箱の中に入っていたのはダイヤモンドの指輪だった。
大き過ぎず、また小さ過ぎない花の形をしたエンゲージリングのような指輪。
葉佩は苦笑しながら、指輪を持った。
「ただの指輪だよ」
そう言いながらも葉佩は真里野の左手の薬指に指輪を嵌める。
真里野の指に収まった指輪を見て、葉佩が微笑む。
その蕩けるような笑顔に真里野は目が釘付けになる。
感情と理性が激しく対立して、真里野はまた泣きそうになる。
ここで自分が夢を諦めれば、また共にいれるのだろうか?
たくさんたくさんキスしてくれるのだろうか?
しかし、それは武士としてどうなのだろうか?
「真里っぺ、こっち見て」
泣きそうな表情は見られたくないと思ったが、葉佩が顎を掴んで軽く上向かせる。
自然と葉佩の瞳を見てしまう。
「これだけははっきりと言っておく、今は本当に他意はないよ、
 俺もお前も考えて、決断して今があるから、今は何も言わない」
そこまで言って、突然葉佩がニッと笑う。
「だたし、数年後は分からないけどな……この虫除けが効果を発揮してくれるなら、必ず迎えに来るから」
「待っててくれ……とは言わないのか、師匠?」
葉佩は苦笑して、乱暴に真里野の頭を撫でる。
「そう言ったらお前は立ち止まって進まなくなるだろう?それだったら別れた意味がなくなる、だけど……」
葉佩はクククッと喉を鳴らして笑う。
「そういう意味では俺の方が重症なんだろうけどな」
「師匠……」
「まぁ、可愛い女の子とかが現れたらその指輪、質屋にでも入れて結婚資金にしてよ」
「いきなり何を言うのだ、師匠!?」
顔を顰めて、葉佩を見ると葉佩は困った表情を見せた。
「俺は夢を追ったどうしようもない男だから本気で待つなよって事」
「それならば、何故、これをくれるのだ、師匠?」
「それは……」
「拙者は師匠の事を片時も忘れた事はない、それ所か益々愛している……だから、待っていてもよいのであろう?」
上目遣いに瞳に思いを込めて見上げる。すると、葉佩は初めて、泣きそうな表情をした。
抱き締められて、額・頬へと口付けられる。
「御免……」
「良いよ、師匠、拙者は誕生日に師匠と逢えて、素敵なプレゼントをもらえただけでも幸せだ、
 この指輪には師匠の思いが篭っている」
「ただの執着心の強い男だと思うけど」
「師匠、そんなに自分を卑下するものではない、少なからず、拙者は嬉しいと思っているのだから」
葉佩が体を離す。
「師匠、拙者の母上がご馳走を作ってくれているのだ、もし良かったら少し上がって行かぬか?」
「そうしたい気持ちは山々なんだけど、
 次の依頼の間に無理言って日本に戻ってきているからもう行かないといけないんだ」
「次はどこに行くのだ?」
「ペルーだよ」
「そうか……」
「だけど、また日を改めて、何時の日か来るよ、
 両親や真里っぺが尊敬しているお爺さんにも会わないといけないからな」
「うむ、そうだな」
「それじゃあ、俺は行くよ」
「う、うむ」
葉佩の唇が近づいてくる。そっと触れるだけのキスはやがて、深くなり、開いていた空白期間を埋めていく。
泣くまいと思っていた感情さえも揺らぐ。
「愛してるよ、真里っぺ」
「拙者も師匠の事を凄く愛している」
乱暴に涙を拭ってもまた溢れてくる涙に葉佩は苦笑する。
ゆったりとした歩幅で葉佩が歩き出す。
「師匠、待っているからな!絶対に待っているからな!」
葉佩は頷くと曲がり角を曲がった。真里野は左手を握り締めて、俯いた。
もう涙を拭おうとは思わなかった。

END









待っていて、とは言わない九龍さん…まりやんの事を本当に大事に想っているのですねvきっと数年後の二人は…